2013年12月26日木曜日

ベタニアのマルタ

1 comment


12/24はクリスマスなので教会に行き、自分の洗礼名について考えました。
私の家はもともとクリスチャンなのですが、そんなに厳格なキリスト教でなく(私が・・・)正月には教会のあと神社に行き、いろんな神様にお参りしています。(お参りしたときアーメンと心の中で言わないように気をつけてます。すみません。)






そんな私についている洗礼名は『マルタ』、ブランド名にもなっている『Maruta』です。(正式なスペルはMartha)
幼い頃、洗礼を受ける時、他の一緒に受ける女の子たちは皆、マリアなのに私だけマルタでちょっと悲しい思いをした事を思い出します。
マルタって誰?と聞くと「マリアのお姉さんで、料理や家事、イエス様の身の回りのお世話をしていた人よ」と教えられたので、てっきりイエス・キリストの母、聖母マリアのお姉さんだとずっと思ってました。
しかし調べたら、いろんな『マリア』がいてマルタは『ベタニアのマリア』の姉でした。
そのベタニアのマリアとマルタに関して聖書に書かれている話はこんなことです。

イエス様と弟子たちが、エルサレムに行く度に、エルサレムに近いベタニアに住むマルタとマリアの家に訪ね、おもてなしを受けていました。
マルタはいつもイエス様と弟子たちをもてなす為に、部屋の掃除、食事などで忙しく立ち働いていました。しかし妹のマリアはいつもイエス様の足許に座り、イエス様のお話に熱心に耳を傾け、聞き入っているだけでした。
そんなある日、この日もイエス様と弟子たちが見えたので、マルタはいつもどうり忙しく働き、マリアはイエス様の話を一言も聞き漏らすまいと、足許に座って聞いてました。
マルタは仕事の手を休め、イエス様に近寄って「主よ、私の姉妹が私1人にもてなしをさせておりますが、あなたは何ともお思いになりませんか。手伝うようにおっしゃってください」と言いました。
すると主はお答えになりました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配り、思い煩っている。必要なことは、ただ一つだけである。マリアはそのよい方を選んだ。それを彼女から取り上げてはならない。」


この話はここで終わっています。考え深いです。

マルタの中で沸き起こったマリアに対する苛立ち、不満が沸き起こるのは当たり前だと思います。
でも、マルタは足許に座ってイエス様の話をじっと聞く事はできないんじゃないかなと思います。きっと、美味しいものを用意しよう!とかそんなことばっか考えて、自発的に働いてしまうんだと思います。
そして、マリアの方は足許に座って、イエス様の話を熱心に聞く事ができる性格。そういう人もいなきゃいけません。
イエス様を慕う気持ちが二人とも同じだとしても、マルタ的な人がマリア的人の行動はとれないし、マリア的な人がマルタ的な行動をとれないと思います。

「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。必要な事はただ一つだけである・・・」
自分にあった役割、与えられた事を、人と比較せずまっとうしなさい。という事なのでしょうか。。


このベタニアのマルタのように、私もアクセサリーや小物を通して皆さん一人一人に十分なおもてなしができるようなブランドにしていきたいと思います! 
よし!来年はもっとがんばるぞ~!!っとなんかきれいにまとめてみた年の瀬であります。



1 件のコメント:

  1. イイね♪
    ありがとうございます。
    私はどっちタイプかな?って考えました。^_^
    ちなみに私の洗礼名はドミニカです(笑)
    マルタさんのご活躍をお祈りいたします♪

    返信削除